2015年6月8日月曜日

論語14

賢を見ては斉(ひさ)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。

すぐれた人に出会えば「大したことないさ」「あの人だからできる」と距離を置き、
愚かな人を見れば「あの人はバカだ」と軽んじ自分自身を省みたり、その立場になって想像するまで至らない。
そういう人は周囲の人間と切磋琢磨が築けず成長がありません。
賢明な人は自分より賢い人を見れば、その良さを学ぼうとし、
愚かな行動をしている人を見れば、自分の行動を振り返る事が出来る。
こういう人はどこにあっても自分を磨く砥石を見つけられるのです。
(斎藤孝)

日常生活において、接する人をどのように感じ、その人間関係を砥石とするとこができるかどうかで
人生は変わってゆくのだろうと思うのです。

僕個人としては、すぐれた人や賢いと思える人が身近にいた場合は、ああなりたいと良く少しでも近づき、
自分のレベルを上げようと思っていました。

佐久協さんの解釈ではこのようです。
「賢者にあったなら、自分もああなりたいと発憤し、賢者でない者に会ったなら、自分もあの程度ではないかと
反省してみる」
「他人の才能を妬まず、侮らず、自分の向上に活かせ」

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